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海外に行くと、人はなぜ急に英語を使いたくなるのか。

Ume
14 時間前
読了時間: 5分

少し前の出来事になるが、 私は、人生初の海外旅行デビューをした。 あくまで仕事だったのだが、何名かの経営者仲間とミャンマーを訪れたのだ。 旅の目的は、日本で特定技能として働くことを目指す若者たちが通う学校の見学。

そこでは、多くの学生が日本語を学んでいた。 将来、日本へ行き、日本で働くためである。

慣れない文字を覚え、聞き慣れない言葉を覚え、日本の文化を学ぶ。

海外で働くというのは、こちらが想像する以上に大変な準備が必要なのだと思う。 実際、学校で彼らが勉強する姿は真剣そのもので、その姿勢に心から感動した。

そして学校見学の最後には、学生たちとの食事交流会が開かれた。

美味しい食事を囲みながら、将来の夢や、日本に来たら何をしたいのかを聞く。

嬉しそうに自分の未来を語る彼らを見ていると、こちらまで楽しくなり、酒もいつも以上に美味しく感じられた。

宴もたけなわ。

すっかり酒も回った日本人社長たちに、学生たちが歌を披露してくれることになった。

曲は、アンジェラ・アキさんの「手紙」。

もちろん、日本語である。

これが、本当に見事だった。

若者たちの綺麗な声で、日本語の歌が紡がれていく。

外国語の歌を一曲覚えるだけでも大変だろうに、彼らは歌詞カードを見ることもなく、そらで歌い上げていた。

彼らは、日本で働くという夢のために、本当に一生懸命日本語を勉強している。

そんな彼らが、介護事業を営む私たちのために歌ってくれている。

私はすっかり感動してしまった。

気がつけば涙が溢れていた。

そして歌が終わった、その瞬間、

感極まった私は、両腕を大きく広げ、学生たちに向かって全力で叫んだ。

「ビューティフルソ〜〜〜ング!!!!!」

なぜ英語だったのか。

今となっては、私にも分からない。

が、人間というものは、海外へ行った瞬間、普段たいして使ってもいない英語を、

急に世界共通の万能カードだと思ってしまうのだ。

私も例外ではなかった。

ミャンマーに来た。

外国人がいる。

よし、英語だ。

たぶん脳内では、その程度の処理しか行われていなかったのだと思う。

しかも、ただ言ったのではない。

感動し、

涙し、

両腕まで広げている。

そして、極め付けに、

「ビューティフルソ〜〜〜ング!!!!!」

である。

我ながら、仕上がっていたと思う。

当然、学生たちにも感動が伝わったものだと思った。

ところが、

「…………?」

である。

見事なまでの、

ぽかーん…

さっきまで笑顔だった学生たちは、

突然涙を流しながら絶叫する、髭面の日本人のおじさんを、静かに見つめていた。

数秒前まで、そこには確かに感動的な空気があった。

が、私の絶叫で、

スンッ……となった。

こうして私は、

「海外=英語」という非常に雑な認識を、ミャンマーの若者たちの無言の視線によって修正された。

大変勉強になった。


ちなみに、今回ミャンマーで英語の洗礼を受けたのは私だけではない。

同行した別の社長が、現地の飲食店で水を注文したときのことである。

彼は店員さんに向かって、かなりネイティブな発音で、

「Water」

と言った。

が、伝わらない。

店員さんは、

「……?」

という顔をしている。

ここで普通なら、別の方法を考える。

メニューを指さす。

身振りを使う。

最悪、蛇口をひねる真似でもいい。

しかし彼は違った。

どうやら、

「伝わらない原因は声の大きさにある」

と判断したらしい。

彼はもう一度、先ほど以上にネイティブへ寄せより大きな声で、

「Water」

と言った。

すると店員さんは、

「あ、水ね」

と、流暢な日本語で返してきた。

英語を駆使した結果、

日本語で助けてもらったのである。

なかなか味わい深い。

ただ、こうした出来事を思い返していると、

コミュニケーションというものは面白いと思う。

私たちは、

「ちゃんと伝えた」

「しっかり言いました」

という言葉をよく使う。

会社でもそうだ。

「本人には説明しました」

「会議で言いました」

「メールで送りました」

「何度も伝えています」

その言葉を聞くたびに思う。

いや、

それは“伝えた”ではなく、“送信した”ではないのか。

メールも、送信ボタンを押したからといって、相手が読んだとは限らない。

読んだからといって、理解したとも限らない。

理解したからといって、こちらと同じ意味で受け取ったとも限らない。

人間同士も同じである。

大事なのは、

こちらが何を言ったかではなく、相手に何が届いたか。

そこまで確認して初めて、

「伝わった」

と言えるのだと思う。

私はミャンマーで、かなりの熱量をもって学生たちに感動を伝えた。

声量も十分。

表情も十分。

涙まで出ていた。

両腕も広げた。

つまり、

送り手側の努力としては満点に近い。

しかし学生たちは、

「…………?」

である。

コミュニケーションとしては、

0点である。

会社でも同じなのだと思う。

上司が100の熱量で話しても、

部下が「?」なら、

それはまだ伝わっていない。

長く説明したから伝わるわけでもない。

丁寧な言葉を使ったから伝わるわけでもない。

まして、こちらが理解できる言葉だからといって、

相手も理解できるとは限らない。

「伝えた」と「伝わった」の間には、案外深い谷があるのだ。

もっとも、

そんな偉そうなことを書いている本人が、

涙ながらに両腕を広げ

、

「ビューティフルソ〜〜〜ング!!!!!」

と叫んでいたわけで、

この文章の説得力については、読者の良識ち判断に委ねることにする。


 
 
 

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