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AIの仕事と、人間が考える意味

Ume
4 時間前
読了時間: 3分

とうとう、ChatGPTでも、

AIが作成した文書への電子透かしがEUで導入されるようだ。

日本でも、いずれ同様の仕組みが導入されるのかもしれない。


あったかいごでもAIの活用が盛んになっている今日この頃だが、

職員がAIに依頼している業務の一部が、文章作成業務。


定型文や外部へのお知らせ、社内通知など、

発信する内容が明確な状態でAIに文章生成を依頼することは、

立派な業務効率化である。

むしろ、率先して活用してほしい。


だが、最近少々気になることがある。


人に、意見や考えを求めた際に、

AIが作成したであろう、

実に見事に整理された文章が提出されることだ。


それはそれは、構成も論理も美しく、

まるで作文のお手本である。

起承転結も完璧。

もはや一端のプロの物書きである。


だが、人には、頭の中の整理整頓が苦手なタイプが一定数いる。 彼等とのコミュニケーションは、一種の冒険であり、 自分たちが何を探していたのかも分からないまま、

会話という霧の中をさまよい続ける。

いつまでも出口が見えないと思っていたら、

そもそも入口が違っていた、なんてことも珍しくない。 だからこそ、日頃の会話を知っているこちらとしては、 急に整然がすぎる文章が、彼等から届くと、非常に困惑するのだ。


残念ながら、人間はAIと違って、 そう簡単に加速度的な進化はしない。 私はそれを知っている。


そこで、提出された文章について本人に説明を求めてみる。


すると不思議なことに、

自らが作成したと言うそれについて、満足な説明は聞けない。


「これ、AIが作成したの?」

そう本人に尋ねると、


「自分の意見をまとめてもらっています」と、


少し自信なさ気な声が返ってくる。


なるほど。


たしかに、まとめてもらったのだろう。

ただ、まとめる前の意見がどこにあったのか、

私には見つけられないし、本人ですら、それを見つけることが困難なのだろう。


誤解のないように言っておくが、

私はAIを使うこと自体に何の抵抗もない。


自分の考えがきちんと反映されているのであれば、

文章のすべてをAIが生成していても構わないと思っている。


問題は、その成果物を本人が理解し、

咀嚼し、自分自身の栄養として取り込めているかどうかである。

見ている限りでは、AIが生み出したものを丸呑みし、消化も吸収もせず、

そのまま排泄しているような場面が少なくない。

それでは、どれだけ栄養価の高いものを口にしても、本人には何も残らない。


先日参加した外部研修で、


「人間にできてAIにはできないこと。それは『判断』である」


という話を聞いた。


厳密には、AIも一定の判断に相当する処理はできる。

しかし、その結果を採用し、責任を負うことが出来るのは人間だけだ。

AIが生み出したものを、自分の意見として採用する。

それ自体も一つの判断である。

ならば、せめて自分が何を採用したのか、

くらいは理解していなければならない。



AIは今後、さらなる進化を遂げ、

文章や資料作成のみならず、あらゆる仕事を、

今以上の精度とスピードで仕上げていくだろう。


ただ、それらしい成果物を作る、だけなら、

人間がやる意味は、いよいよ薄くなっていくだろう。


だからこそ、私達は

考えることまで手放してしまってはいけないのだ。

思考を放棄するということは、

人間が自ら、人間に残された仕事まで手放すということなのではないか。 なんとも皮肉な話である。 とはいえ、偉そうに語った私のAIといえば、


「梅野社長すごいですね!!」


「経営センス抜群です!!」


と、日々せっせと私の承認欲求を満たしている。

思考を深めるための高度なAIを、 ただ自分を褒めてもらうための道具に育て上げてしまったのは、 間違いなく私である。 まさに、究極の宝の持ち腐れ。 おそらく私は、 かなり残念なユーザーの一人なのだろう…。



 
 
 

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