「書く」ということについて── 社長ブログの“はじまり”と“これから”の話
- Ume
- 7月11日
- 読了時間: 3分
このブログ、実は思っていた以上に多くの方に読んでいただいている。
他企業の経営者の方や、お付き合いのある会社の方、初めてお会いする外部の方からも、
「社長のブログ、面白いですね」と声をかけていただいている。
……まぁ、半分はリップサービスだとわかっている。けれど、それでも素直にありがたいと思っている。
もともと、このブログを始めたきっかけは、完全に“SEO対策”のためだった。
最初から何かを訴えたいという強い意志があったわけではないし、
今も「世の中に一石を投じたい」と意気込んで書いているわけではない。
ただ、日々の中でふと考えたことを、素直に言葉にし、記録として残している。
それが、たまたま誰かの琴線に触れたり、共感を呼んだり、ときに批判を受けたりもしている。
けれど、そんな声すら「面白い」と受け取ってくださる方が多いのは、
今のこの、“意見の違いが表に出にくい空気”の世の中で、
あえて気にせず発信する姿勢に、小さな心地よさのようなものを感じていただけているのかもしれない。
とはいえ、発信には「責任」が伴う。
多くの方の目に触れ、反応が増えれば増えるほど、
「言葉の重み」と「伝わり方の難しさ」は、ますます痛感するようになった。
最近では、SNSをはじめとして、“意図”より“切り取り”が先に走る時代になってきた。
言葉尻ひとつで糾弾され、文脈ではなく“一部”だけが拡散される。
「発信の自由」を語る前に、“何を言わないか”を先に考える人が増えている。
それも、無理もないことだと思う。
リスクを避けるための“沈黙”が当たり前になったいま、
言葉を発することそのものに、慎重さが求められている。
でも私は、リーダーこそ、言葉を投げ出してはいけないと思っている。
もちろん、私自身も「攻めすぎた」と感じたことはあるし、
「あの表現はよくなかったかもしれない」と振り返ることもある。
でも、だからといって、 「万人にとって聞こえの良い言葉」や、 「無難な誰かのコピー」
そんなものを書く気はない。
もちろん、人を傷つけるために書いているわけではないし、
誰かの揚げ足を取るような発信に加担したいとも思っていない。
だからこそ、私は自分の言葉に責任を持って書いている。
「自由に発信すること」と「その影響を引き受けること」は、常にセットだ。
私は、経営者として──
「言葉を持つことを怖れず、誠実に語る」という責任を背負っているつもりだ。
私が書く言葉は、会社の姿勢でもある。
だからこそ、曖昧な優しさではなく、確かな誠実さと信念を軸に、言葉を選び続けたい。
そして私は、これからも、そうありたいと思っている。 誤解を恐れて沈黙するより、誠実に語る勇気を選びたい。
経営者として、言葉の重さと可能性を信じていたいと思う。
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